激震!ガリレオ「人は他者に何も教えられない」
面白い記事をみつけました。
「教えれば教えるほど下手になる」
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サッカーを教えている筆者が気がついたという記事です。
この教えすぎるとダメになるということを、
ぼくもよく学校現場で遭遇しました。
勤め始めた当初、物理がわからないという生徒が
よく質問にきていたので、丁寧に教えたのですね。
でも、何回も、何回も丁寧に順番に教えていったのですが、
これが毎回テストでひどい点を取ってくる(汗)
なぜかわかりませんでしたが、今ならわかります。
丁寧に順序をもって体系的に教えすぎていたからです。
体系的に教えると、生徒はよくわかった、わかりやすい説明だ、
ということで満足して帰っていくのですが、
実際は、わかっていないというのが大きな原因です。
自分でわかるためにはどうすればいいのか、ということですが、
生徒側の問題として、その1つが人に教えてみるということですよね。
説明をしてみると、うまく説明できなくて、自分の理解が不足しているところを
発見することができます。
では教師側の問題として、どのように教えたらよいかということですが、
わざと混乱をさせるということをするようにしました。
知識をばらばらにして、それらをまとめずに与えたりすることもあります。
導入部分で実験を突然見せて、なんでこうなっているのか?
を話をせずに内容を先に進めたり、問題演習をしているときに、
わざと難しい問題や、別分野の問題を入れてみたり。
ときには、問題文を英語にしてみたり、数学の問題を入れてみたり。
それらは一応こちらでは、関係性があるものを、単発的に与えていきますので、
構築するのは生徒1人1人の仕事になるというわけです。
本来知識を結合するのは、教師ではなく生徒自身の仕事ですよね。
自分で体系的に整理した知識は、自分のものですから、すぐに忘れるということは
ありません。
そのため、いろいろな手をつかって、混乱させるようにしています。
そして問題の解説は全部を丁寧にはせず、ヒントを与えたり、
途中式については省いたりしながら説明をしていきます。
黒板もきれいに取るようなことはしません。
こんなことをしているので、一部の生徒からは不満が出ることがあるのですが、
得点を見てみると、丁寧に教えた時よりも良い点をとってくるので不思議です。
ただ生徒には自覚がないので、いぜんとして不満が残っているようにも見えます。
「楽しい学び」を目指すのもの大切ですが、「いつの間にか身についてる学び」という
生徒が意識しないで、あれ?わかっていた。というような教え方を増やすことができるかどうか、
それがぼくの今後の課題です。
先ほどのサイトで紹介されていたガリレオ・ガリレイの言葉、
「人間は他人に何事も教えることはできない。ただ、自分の努力でそれを発見するのを、手助けするだけだ」
ということに、教員よ、おごることなかれ!手助けしかできないんだよ。
というメッセージが時を超えて聞こえてくるような気がします。
http://iso-labo.com/labo/words_of_GalileoGalilei.html
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