同郷というだけで共感を得る。生徒との共有経験が減ってきている。

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毎日がドタバタとしている中で、
ほっとするのが本屋にきたときです。

本屋にいると、たくさんの表紙を眺めながら、
どんな内容の本なのかな〜なんて空想するのが、
とても楽しくて、時間がすぐにたってしまいます。

ぼくは雑誌は読まない人(漫画は読みます)だったのですが、
奥さんが雑誌が好きな人で、雑誌のコーナーも見て回るようになりました。

そういえば、「SWITCH」という雑誌で同郷の糸井重里さんの特集が組まれていて、

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ちょっと見たら、すっごい面白くて、気がついたらレジにいました。

糸井さんは群馬県前橋市出身で、ぼくも同じです。
同郷ということだけで、
糸井さんとは話をしたことがないのに、
なんだかグッと親近感がわく。

その本の中で、糸井さんが前橋について語っていました。

糸井さんがあるとき、新前橋駅から前橋駅まで
歩いたというようなことがかかれていました。

知らな人はよくわからないと思うのですが、
結構遠良いんです。途中で利根川を渡るのですが、

「そうそう僕も歩いた。」

「あの利根川の色が季節によって変わるんだよな」

などと頭のなかに浮かんでくるのですから、同じ経験をしたっていうのは、
強いですよね。

自転車をこがないでも、
からっ風が強いから前に進むことができた。

なんてこともかかれていたのですが、それもこれも体験済みだから、

「それそれ!わかる!」

となるわけです。共有した思い出や体験って大きいな。

教員になって11年経ちました。早いいものです。
生徒とも年齢が少しずつ離れて、同体験が減ってきています。

こういうことが少しずつ、説明をしたときに、
生徒にとって共感度が減ったりするのだろうなと、
しかたないのですが、思っています。

どうしても生徒は教員をとおして科学に接するから、
そういうことって以外に大きいのではないかと思うのです。

迎合するわけではないのですが、生徒によりそうって、
もしかしたら同じ本を読んだり、ドラマを見たりするだけで
いいのかもしれないなって。