明治の夜に現れた人工の太陽!銀座を驚かせた「アーク灯」の正体とは?(国立科学博物館)
サイエンストレーナーの桑子研です。毎日が実験。
明治15年の夜、東京・銀座の街に突如として「人工の太陽」が現れたとしたら、当時の人々はどれほど驚いたことでしょうか。現代の私たちはスイッチ一つで明かりが灯る世界に生きていますが、かつて電球が普及する前、世界を照らしていたのはアーク灯という、凄まじいエネルギーを放つ光の装置でした。今回は、国立科学博物館で見つけたこの不思議な明かりの正体と、その裏に隠された科学の物語を紐解いていきましょう。
明治の人々を驚かせた「2000本のろうそくと同じ明るさの電灯」
こちらは国立科学博物館で展示されていた、アーク放電を利用したアーク灯です。

スペックを見ると、約50V、10A、そして明るさは2000燭光(しょっこう)とあります。これは、なんとろうそく2000本分に相当する明るさです。明治初期、これほど強烈な光を放つ照明は他にありませんでした。
1882(明治15)年、これと同タイプのものが銀座に点灯された際には、その眩しさに人々は度肝を抜かれたといいます。まさに、日本の夜が「電気」によって初めて劇的に変わった瞬間でした。
空気が燃える!?アーク放電の仕組み
では、なぜこれほど強い光が出るのでしょうか。その仕組みは驚くほどダイナミックです。まず、電源の両極にそれぞれ炭素の棒をつなぎます。この2本の棒を一度接触させると「ショート」の状態になり、大きな電流が流れます。そこで炭素棒をわずかに引き離すと、その瞬間に激しい火花が飛び、空気が電離して電流が流れ続ける状態になります。これがアーク放電です。

このとき、炭素棒の間隔を数ミリ程度に保つことで、眩いほどの白い光が持続的に放たれるのです。科学技術館では、このアーク放電が激しく光り輝く様子を間近で観察することができました。
なぜ「アーク(円弧)」と呼ばれるのか
ところで、なぜこの現象を「アーク」と呼ぶのでしょうか。アーク(arc)とは、英語で円弧(弓なりの形)を意味します。
放電によって発生した高温の空気は軽くなり、上へと立ち昇ろうとします。その上昇気流によって、光の通り道がふわりと弓なりに曲がることから、この名前がつきました。自然界で起こる「雷」が巨大なアーク放電だと言えば、その凄まじいパワーがイメージしやすいかもしれませんね。
消えたアーク灯と、現代への継承
エジソンが白熱電球を実用化する前、このアーク灯は灯台や街路灯として世界中で活躍していました。しかし、現代の街角でアーク灯を見かけることはありません。それもそのはず、アーク灯には炭素棒が燃え尽きてしまうため頻繁な交換が必要だったり、凄まじい熱が発生したりといった弱点がありました。銀座でこの伝説の明かりが復元されたというニュースもありましたが、現代の技術ではLEDが使われています。
当時のアーク灯は、エネルギーの多くが光ではなく「熱」として逃げてしまう、非常に効率の悪いものでした。しかし、その「熱」や「強烈な光」を利用する技術は、現代でも金属を接合するアーク溶接や、大型のサーチライトなどに形を変えて生き続けています。
科学の歴史は、失敗や不便さを乗り越えて進化してきました。明治の人々を照らした眩しすぎる光を想像しながら、今の便利な生活を支えるエネルギーに目を向けてみるのも面白いですね。
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