胃は自分を溶かさないのか?170年前の暴発事故が教えてくれたこと(動画「人体の消化の妙」)

サイエンストレーナーの桑子研です。毎日が実験。

人体の消化の妙」というこちらの動画、Y先生から教えてもらって素晴らしいので毎年見せています。

もしあなたの胃が、食べ物と同じように”自分自身”を消化してしまったら——そんなことが起きないのはなぜだと思いますか?実はこの謎が解き明かされたきっかけは、170年ほど前に起きた、なんとも痛ましい銃の暴発事故でした。今日は、胃という臓器に秘められた驚きの防御システムについて、一緒にのぞいてみましょう。

メモ:生徒に見せて置く場所: 5:05から26:19(およそ22分間視聴) 食道・胃・小腸まで

動画のあらすじ

胃に穴が空いた男、マーチン

19世紀のアメリカに、アレクシス・マーチンという猟師がいました。彼はある日、銃の暴発事故で腹部を負傷し、なんと胃に穴が空いてしまいます。奇跡的に一命をとりとめたものの、傷はふさがりきらず、胃の中がのぞける小さな穴が体表に残ってしまいました。
これに目をつけたのが、主治医だったウィリアム・ボーモントです。ボーモントは「このままでは治療の術がないなら、せめてこの穴から人体最大の謎の一つを解明できないか」と考え、マーチンの協力を得て、胃の中に食べ物を糸でつるして入れ、それが溶けてなくなるまでの時間を観察するという、世界初とも言える生きた人体実験を行いました。

画像はGeminiに生成してもらいました

その結果、ボーモントは食べ物を溶かしているのが強い酸と、ある化学物質の共同作業であることを突き止めます。これが後の消化生理学の出発点となったのです。倫理的な問題は今の目で見れば当然議論になりますが、この観察がなければ、私たちが「消化」という現象を科学的に理解するのはもっと遅れていたかもしれません。

1日3リットルもの胃液が出る、わずか5mmの臓器

食べ物は食道を通って胃に入ると、そこでタンパク質を分解する胃液にさらされます。その量は、なんと1日あたり約3リットル。ペットボトル1.5本分もの強力な消化液が、毎日あなたの胃の中で分泌されているのです。

ところが、この胃液を作り出している胃そのものの壁は、わずか5mmほどの薄さしかありません。表面には毛細血管が網目のように走っていて、ここが胃液の”源泉”になっています。強力な酸を作り出す工場が、紙のように薄い壁一枚でできている——考えてみると、かなり不思議なことですよね。

タンパク質でできた胃が、なぜ胃液に負けないのか

ここで大きな疑問が生まれます。胃液はタンパク質を溶かす力を持っています。そして胃自体も、体の他の部分と同じくタンパク質でできています。それなのに、なぜ胃は自分自身を消化してしまわないのでしょうか。

この謎を解くヒントは、意外にも1972年、オーストラリアのアデレード大学にいたタイラー教授が発見した、一風変わったカエルからもたらされました。

胃の中でオタマジャクシを育てるカエル

タイラー教授が見つけたのは、自分の胃の中でオタマジャクシを育てるという、驚くべき習性を持つカエルでした。母ガエルは卵を飲み込み、胃の中でオタマジャクシへと孵化させ、そのまま育てるのです。普通に考えれば、オタマジャクシは母ガエルの胃液で消化されてしまうはずです。ところが、オタマジャクシの周りには粘液の層があり、これがバリアとなって胃液から身を守っていることがわかりました。

そして実は、私たちヒトの胃の壁を守っているのも、まったく同じ仕組みなのです。胃の内側は粘液でおおわれていて、これが強力な酸や消化酵素から胃自身を守る”盾”の役割を果たしています。顕微鏡で見ると、この粘液はミクロの網目状の構造をしていて、まるで胃の壁を包み込むネットのように、胃を内側から守っているのです。

余談ですが、動画を見ながら「アニサキスはなぜあの強い胃酸の中で生きていられるのだろう」という疑問もわいてきました。

ストレスで胃が荒れるのは「バリアの決壊」だった

この粘液のバリアは、実はとても繊細です。強いストレスやアルコールの摂取によってバリアの働きが弱まると、胃液が胃自身の壁を消化し始めてしまうことがあります。これが、いわゆる胃が荒れる、胃潰瘍になるといった状態の正体です。ストレスで胃が痛くなるとよく言いますが、それは決して気のせいではなく、体の中で本当に”防御システムの綻び”が起きているのです。

しかし、人体の仕組みはそれだけでは終わりません。仮に胃の壁が傷ついても、生き残った細胞がなんとわずか1時間ほどで修復を始めるといわれています。これは驚異的なスピードです。私たちが意識していないところで、体は絶えず自分自身を修理し続けているのですね。

酸の役目を終えたら、今度は中和して小腸へ

強い酸で分解された食べ物は、その後十二指腸へと送られます。ここで胃液の酸は中和され、中性に近い状態になります。強力な酸のままでは、その先にある小腸を傷つけてしまうからです。中和された食べ物は、いよいよ小腸へと運ばれ、そこで体に必要な栄養として吸収されていきます。

ちなみに、今回ご紹介した内容は動画の5分05秒あたりから26分19秒、ちょうど小腸に到達するところまでの流れに対応しています。気になる方はぜひ本編もあわせてご覧ください。

胃という一つの臓器の中だけでも、170年前の壮絶な人体実験から、南半球の不思議なカエル、そして私たちの体に備わった1時間で治る驚異の回復力まで、これだけの物語がつながっています。何気なく「お腹すいたな」と思うその瞬間にも、体の中ではとんでもなくドラマチックな化学反応が繰り広げられているのです。

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