!?「明日、ママがいない問題」と「ホテルのカレー」の関係【教採対策】


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大学受験や教員採用試験の1つの関門、

それが論作文です。

そこで出されるのが「答えの無い質問」です。

今回はそんな論作文対策についてメルマガvol.60にまとめましたので、

こちらに抜粋して、ご紹介します。

「明日、ママがいない」問題

大学入試や教員採用試験で、合否判定の1つに使われる論作文。

この論作文で問われる質問には、ある決まったルールがあります。

 

それは「答えのない問題」がテーマとして選ばれるということです。

 

答えがないからといって、意見を言わないわけにはいかないので、

ある意見を表明しなければいけませんが、

 

そのとき大切なのが、必ず複数の目から、

そのテーマについての意見を書いて、

そしてそれらを考えた上で、自分はこう思う、

とまとめていくことです。

 

つまり、

「複眼的な思考能力」

「いろいろな人の気持にを感じ取ることができるのか?」

が問われていて、実はこれ、すっごい難しいことなんです。

 

ぼくはこれは「優しさ」と関係があるのではないかと思っています。

 

話は変わりますが、「明日、ママがいない問題」を知っていますか?

“人権侵害”日テレにドラマ「明日、ママがいない」の中止要請

 親が育てられない子どもを匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を設置する熊本市の慈恵病院は16日、日本テレビ系列で放映された児童養護施設が舞台の連続ドラマについて「養護施設の子どもや職員への誤解偏見を与え、人権侵害だ」として、放送中止を申し入れると明らかにした。

中略

ドラマ内で「赤ちゃんポスト」に預けられた子に「ポスト」というあだ名が付けられており、慈恵病院は「預けられた子どもを傷つけ、精神的な虐待、人権侵害になる」と批判した。

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一方、日本テレビは「ドラマは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子どもたちの視点から『愛情とは何か』を描くという趣旨のもと、子どもたちを愛する方々の思いも真摯に描いていきたい」とのコメントを発表した。

みなさんはこの問題をどうとらえていますか?

 テレビは過激なことをやると、必ず視聴率があがり評判になります。今回の問題も、話題作りなどもあり、そのギリギリラインを狙っていると思われます。ぼくとしたら年代的には「家なき子」の、

「同情するなら金をくれ!」

という、当時流行した、過激なメッセージを思い出しました。

過激なことを訴えることによって、「社会にはこのような問題がある」ということが広まるかもしれませんが、

今回の問題は、そのことによって傷つく子供が少なからずでているということが大問題です。

そしてテレビ局側の対応は当初、「最後まで見ていただいて判断をしてほしい」というものでした。

慈恵病院の反応に対しても賛否両論があり、

「こんなことをしたら何も表現できなくなってしまう」というものもあれば、

「テレビ局はけしからん。傷ついている子供がいるんだから、即刻やめるべき」

というようなものがあります。

 

全国テレビ番組というメディアのしばり

ここで批評家の岡田斗司夫さんの「岡田斗司夫ゼミ

で言われていたことがとてもおもしろかったので、

ご紹介したいと思います。

(以下述べることは岡田さんの要約なので、ぜひ番組を見てほしいと思います)

 

テレビというメディアの特性を考えてみると、

テレビというものは誰もが楽しめるものでなければいけません。

 

そこが一番重要になります。

 

お笑い芸人の有吉さんが、「メジャーになるというのは馬鹿になるということだ。」という

発言をしたことがあるそうなのですが、

 

この発言は、どんな人でも楽しめる、誰にでもわかるということ、

それが全国放送のテレビには大切だということを意味しています。ですから、

 

心が弱い人。

読解力が低い人。

リテラシーが低い人。

正確に見ることができない人。

 

それらの人がみたとしても、それなりに楽しいものでなければいけません。

それが全国放送をしているテレビ番組にとって、大切なのではないかと
岡田さんは言われておりました。

面白さを犠牲にしても、作りてが良いと思うものを犠牲にしても、みなが満足できるもの。

その例として岡田さんは「ホテルのカレー」を例にあげていました。

全国放送のテレビ番組は、ホテルのカレーのようでなければいけないというのです。

 

ホテルのカレーは特別においしいわけでは「ない」

ホテルのカレーというのは、ホテル全体に匂いがいかないように、他の料理に影響がでないように、

たくさんの香辛料を使うような、匂いが強いものを使うことはできません。

 

また子供や老人も食べることから、辛さも抑えなければいけません。

 

しかしながら、誰が食べても「ああカレーだな。まあまあおいしいな。」と思えるような、

ある程度の質は保証する必要があります。

 

しかしホテルのカレーは皆が満足するもので、

それだからこそ、「とげ」が抜かれており、

特別に「おいしい!」というものにはなりえません。

 

全国に放送をするテレビ番組とはそういうものなのです。

だから、全体の満足を満たすために、ある一定の質を保証するために、

バランスをとっていくしかない。

 

制作者の側の「よく観て判断してほしい。」とか、

批判の1つである「こんなこといわれたら、何も作れないじゃないか!」

ということ、

 

つまり「表現の自由」に関係していることは、

全国放送のテレビ番組という性質上、

今回に関しては間違っているのではないかというのが岡田さんの意見でした。

 

面白いですよね。

 

制限があっても、面白いものは作れる

じゃあ、面白いものが作れないのか?というと、

「それも違う!」

と岡田さんはいっています。

 

例えば「あまちゃん」は、NHKという非常に多くの規制がある中で、

もっと過激に言わせたいセリフもあろう中で、ぎりぎりの表現を目指して行って、

あれだけ面白いものが出来上がった例だといいます。

 

また機動戦士ガンダムにしても、玩具業界と関係しており、

この時期にはオモチャが売れるから、新たなロボットを出してほしいという、

番組協賛者の縛りの中で、あれだけ面白いものが作れたというのです。

 

「ちゃんと作ったんだからわかってくれ!」

これは作り手の傲慢です。

 

「これから「正義」の話をしよう」で知られる、

これからの「正義」の話をしよう

サンデル教授は、次の3つの倫理

1 最大多数の最大幸福

2 最大限の自由

3 共同体の論理

の3すくみの状況をよくテーマにしています。今回の件にあてはめてみましょう。

1 最大多数の最大幸福

クレームがたくさんきているから撃ち切るべきだ!

 

2 最大限の自由

クリエイターとして創る自由がある!見せる自由がある!表現の自由に関するもの。

 

3 共同体の論理

ゴールデンタイムに流すものとして、として家族が見れるもの。

 

どれも1つの論理だけを取り出して眺めると正しい。

しかし「全体を見る」と回答がないという状態です。

 

実はこの場合は、回答がないということが、答えなのですね。

 

マスコミに語らせるとしかたないのですが「表現の自由」に重点が置かれてしまうという

性質をしっておくことも大切かもしれません。

 

そういったことにも注意をして、これらの3すくみのそれぞれの立場で、

答えのない問題に切り込んでいき、自分なりの答えを出していくこと、

これが実は大学入試の推薦試験などで論策を書く時に、

教員採用試験における論作文を書く時などに、とっても大切なことになるのかもしれませんね。

PS

ぼくがこの問題を見た時に、「ああ、このニュース、あれに似ているな」と思ったものがあります。

それは2012年にあった、こちらのニュースです。

「だるまの目入れは差別か 選挙事務所からだるま撤去も」

当選した時に行われるのが、万歳三唱とだるまへの目入れ。しかし、このだるまの目入れが減りつつあることをご存知だろうか。

中略

2003年の春の統一地方選時に、視覚障害者団体から「ダルマに目を入れて選挙の勝利を祝う風習は、両目があって完全、という偏見意識を育てることにつながりかねない」(民主党HPより)という要請が入り、にわかに問題化。

というニュースがあったのです。ぼくはこのとき、

 

「こんなこと言われたら、もう何も出来ないじゃない!!」

 

と短絡的に思いました。みなさんならどう思いますか?

 

今でもこれはやり過ぎだなと思っていますが、実はいまではかなりこの意見が揺らいでいます。

といのも、「五体不満足」の乙武さんが、ご自身のブログで(当日はツイッターでのつぶやきで)このニュースについて次のようなことを言われていたからです。

だるまの目入れは差別か

 この記事を読んだ多くの方々の感想は、「考えすぎ」「そんな意図はないはず」。たしかに、だるまに目を入れるという風習が差別や偏見に当たってしまうというのなら、世の中の多くのことがグレーゾーンになる。最近では、「ブラインドタッチ」「目が節穴」という言葉さえ使ってはならないのだとか。いずれは、「視野が広がる」なども使えなくなってしまうのだろうか。

中略

 僕はいじめを受けたこともなければ、障害によって大きな制限を受けたこともない。両親に愛され、健常者とともに楽しく過ごし、成長してきた。

中略

だが、そうした障害者ばかりではない。いや、むしろ、僕のように恵まれた環境で育った障害者は少数派かもしれない。親にも受け入れられず、幼少期にいじめに遭い、苦しみとともに育ってきた方に、「乙武のように障害なんて笑い飛ばせ」と言っても無理があるし、僕らが「それしきのこと」と感じることにも敏感に反応したり、「やめてくれ」と思ってしまうその感情も、無理からぬことかもしれない。

 「いやだ」という人に、「そんなの気にしすぎだ」と言うのはかんたん。でも、彼らがなぜ「いやだ」と感じてしまうのか、そこに気持ちを寄り添わせる視点は忘れずにいたい。そして、幼少期に「障害がある」という理由だけでつらい思いをする人々が少しでも減るように、僕自身、尽力していきたい。

この記事をよんで、当時、動揺しました。

自分の短絡的な考えの甘さに。

そしてぼくの考えは大きく揺らぎました。

乙武さんは、目がみえないわけではないのです。

つまり、ぼくも気がつくことが十分できる論点でした。

 

ちょっと相手のことを想像することの大切さ。

 

乙武さんは自分の目がみえないわけではないのに、

目が見えないという人の気持ちに寄り添った文章を書かれていた。

 

ぼくがもし、このテーマで論作文を書いたり、集団討論などをしたら、

すぐに落ちていることでしょう。

 

突き詰めると、論作文できいていることは、

いろいろな立場を想像して意見をいえること、

つまり「優しさ」 なのだと思います。

 

それでは良い休日を。

参考

教員採用試験、科学、教育などについてまとめています。月1回くらいの発行頻度です。


 

これからの「正義」の話をしよう

五体不満足
乙武 洋匡

次の科学のタネ

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